叔父さん
叔父さんは大体において無頼者なのです、親と違って責任がないのです。
我々の幼い時代、2,3男坊は今の時代に似てどうやって生きてゆくか試行錯誤していました。無頼に為らざるを得ないのです。そこが子供達にとって魅力であり遊び相手にもなるのです。
歳がある程度上なうえ時間があったのか色々な大人の世界への案内役をしてくれるのです、付いて廻っていた様な気がします。
そんな叔父さんの訃報が届きました。昔が思い出されます、もう長い間会っていないのですがもう90歳が近いはずです。
こうして益々故郷から遠くなって行くのです。
遠く離れているとこんな時に何も出来ないのです。
花

カラーが咲いてきました、我が家のものはまだ芽が出てきた状態です。どうした事なのでしょう環境、栄養が悪いのでしょうね。

ヤブデマリです。
この花を叔父さんに贈ります。
叔父さんが故郷を出るときに贈ってくれた詩があります、レイの。
男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山
生前に会った時、もう故郷に帰って来いと言うので「至る所青山あり」と言って送り出したのは何処の誰だなどと話したのが最後になってしまいました。叔父さんは酒を呑まないのに酔っ払いに絡まれてはかないませんよね。学など成る訳はなし。
中国の詩だと思っていたのですが日本産です、釈月性の作なのですね。(幕末の尊皇攘夷の僧)
こんな言葉が門出の餞(はなむけ)に贈られた時代があったのです、今は何と言って送るのでしょう。
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